【明日への扉】三川内焼 作陶家 ~ 笑顔を運ぶ じいちゃんの唐子 ~

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長崎県佐世保市の三川内焼(みかわちやき)は、多彩な技法で彩られる純白の磁器だ。

三川内焼の伝統はおよそ400年前、平戸藩初代藩主・松浦鎮信が御用窯を築いたことに始まった。採算を度外視し、天皇家や将軍家の献上品が作られた。明治になると海外にも輸出され、ヨーロッパの王侯貴族も魅了した。

中でも、三川内焼を象徴する絵柄「唐子絵(からこえ)」は、子孫繁栄の意味があり、かつては御用窯でしか焼くことが許されていなかった。

江戸時代から唐子絵を守る平戸松山窯の当主、中里月度務(なかざと・つとむ)さんは、三川内焼について「筆の繊細さ、描写力、色の淡さ。他産地にない魅力があるのではないかなと思っています」と語る。

平戸松山窯には、唐子絵の伝統を受け継ぐ若者がいる。

三川内焼 作陶家、中里彰志(なかざと・あきし)さん。窯元の長男として誕生した。祖父は唐子絵の名工、中里勝歳(なかざと・かつとし)さんだ。

「じいちゃんは唐子では誰にも負けたくないと言っていた」と彰志さんは話す。「『おい(俺)の唐子が一番かわいか』っていうプライドとか、そういうのをものすごく感じていました。やっぱりそれは昔の職人さんの良いところやなって思いますし、見習いたいなと思いますね」。

そんな祖父から教えられ、幼い頃から書道の筆で円を描く練習をよくしていたそうだ。

彰志さんは「それをしていたから今、曲線を描きやすい。線の美しさを出すのに必要な動きを小さい頃から教えてもらっていたので、それは活きていると思います」と言う。

そうして彰志さんは22歳の時、祖父と父のもとで陶工人生をスタートさせた。

ところが彰志さんが陶工になってしばらくして、唐子絵を学ぼうと思った矢先に祖父・勝歳さんが他界。亡くなる直前まで筆を握っていたという。

「じいちゃんの構図をあえて描くことによって、じいちゃんとの筆使いや技術の差もわかりました」と彰志さんは話す。さらに、

「一回見てほしかったなって思うんです。ただ、じいちゃんが亡くなったから描こうと思ったので、それも運命というか、このまま引き継いでいくことも僕の役目だなと思っています」とも語ってくれた。

「じいちゃんの唐子を同じ道で追いかけても、一番良くて同じラインに立つことだと思うんですけど、自分なりの唐子絵を追い求めていきたいなと思っています」と彰志さん。

自分の道で描く唐子の笑顔が、人々に幸せの風を運ぶ。

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

~at home presents明日への扉~

ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中

明日への扉公式ページはこちらから。

https://www.athome-tobira.jp/

Text by Discovery編集部

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