【明日への扉】加賀竿職人 〜 釣り人に愛される機能美を 〜
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ドキュメンタリー

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静かに時を刻む、北陸の都・金沢。
日本の文化と歴史が、今も息づいている。

その歩みの中で育まれてきたものが、豊かな川に支えられた釣りの文化だ。初夏から始まる鮎釣りは、昔から多くの人を魅了してきた。
日本の釣り文化が大きく花開いたのは江戸時代。各地で竿づくりが盛んになり、庶民の心を癒す娯楽として広がっていった。
その時代に、娯楽とは一線を画す竹で作られたのが、石川県の加賀地方で生まれた加賀竿(かがざお)だ。

絹糸を巻いた上に漆を塗った、段巻きと呼ばれる黒い模様。長い竿全体にも漆を施し、強度と美しさを両立したのが特徴だ。
誕生には、時代の政治が深く関わっていた。江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、強大な力ゆえ常に江戸幕府から動向を監視されていた。もし武芸の訓練を表立って行えば、幕府を刺激しかねない。
そこで、武士に推奨されたのが鮎釣りだった。
毛針をつけて使用するドブ竿は8メートルを超える長さで、約1kgある。また、短い竿には重い針をつけて鮎を引っ掛けた。しゃくる動作が小太刀の間合いだったと言われている。
当時、加賀藩の武士にとって、釣りは娯楽ではなく鍛錬だったのだ。そのため、加賀竿は激しい動きにも耐えられるよう、頑丈に作られた。

加賀竿の伝統を受け継ぐ唯一の職人、中村滋さんは「堅牢性が特徴」だと説明した上で、「しっかりと作り上げて、愛着を持って長く使っていただける竿を作りたい」と話す。
加賀竿は竹を加工し、組み合わせることで、一本の竿を作り上げる。工程は大きく分けると竹の選定と加工。細かいものも数えると、120の工程がある。
それら全ての工程を一人で仕上げるため、制作にかかる時間は長いもので1年以上。全てオーダーメイドで、大量生産ができない一点物だ。
技術の習得の難しさから、いつしか職人も減り、今では中村さんただ一人。そんな技を失わせてはならないと、通い弟子として修業をするのが、加賀竿職人の中村直人さんだ。

師匠の中村さんと縁もゆかりもなかった直人さんが弟子入りしたのは今から4年前。
初めて加賀竿を見た時、衝撃を受けたのと同時に感動も覚えたという。今はまだ修業中の身だが、他の仕事をしながら週に二回工房に通い、技術を磨いている。
直人さんが目指すのは、自分が初めて見た時と同じ衝撃と感動を与えるだけでなく、釣り人が求める竿。使う人が求める全ての要望に応える技術と経験が、職人に試される。

直人さんは短期間で作ることができる短めの竿を作り、技術を磨いてきた。
そして今、さらなる高みを目指すため挑んでいるのが「ライトドブ竿」。
伝統的な加賀竿のドブ竿は、長さが8メートルを超える。重さもあり、軽い竿になれた今の人では扱いが難しい。それを短くすることで、使いやすくした、実験的な竿だ。
昔は川の遠くて深いところに鮎がいたので長い竿を使わなくてはいけなかったが、「時代が変わり護岸整備も進んできて、手軽に鮎釣りを楽しめるようになった」と直人さん。
時代に合わせた釣り人のための竿づくりが、はじまった。
続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。
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Text by Discovery編集部