【明日への扉】江戸風鈴職人 〜 父の技を受け継ぐ 兄弟の音色 〜

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風に乗って聞こえる優しい風鈴の音色。

涼を運び、心を癒してくれるその音色は、古くから愛されてきた。

日本に風鈴が伝わったのは奈良時代。仏教と共に中国から伝来した。厄除けとして寺の仏堂の四隅に吊るされていた風鐸(ふうたく)が起源とされ、その音が聞こえる範囲は災いが起こらないとされ、普及していったという。

以来、日本各地でさまざまな風鈴が作られてきたが、江戸時代に西洋からガラス文化が伝わると透明なガラス製の風鈴が生まれた。

そして日本の数ある産地の中でもガラス製だけにこだわって伝承されてきた風鈴が、東京の下町にある。それが江戸風鈴だ。

東京都台東区にある、篠原まるよし風鈴。兄弟の江戸風鈴職人が、この工房で汗を流す。

ガラスを成形するのは職人歴17年の兄、篠原孝通(しのはら・たかみち)さん。

そして絵付けをするのが職人歴13年の弟、通宏(みちひろ)さんだ。

江戸風鈴の特徴は「宙吹き(ちゅうぶき)」という型を使わない製造方法と、できたものに対して内側から絵を描いていくことだ。「一個一個が手作りなので、全ての音が違う」と孝通さんは話す。

手作りならではの優しく響く音色と、ガラスの表面の光沢を生かした絵付けが江戸風鈴の魅力だ。

東京でガラス製の風鈴が作られはじめたのは江戸時代。高級品だったガラス製品が、技術の発達で安価で作られるようになったのがきっかけだった。

しかし、高度成長期にガラス製品が機械で大量生産されるようになり、手作り風鈴の需要が減少。後継者不足もあり、多くの工房が廃業した。

そんな中、ガラス製の風鈴の技を残すために「江戸風鈴」と名付けたのが、篠原兄弟の祖父、篠原儀治(よしはる)さんだった。そして兄弟の父であり、師匠でもある正義(まさよし)さんが独立して開業したのが、今の篠原まるよし風鈴だ。

職人歴50年以上の正義さんは、江戸風鈴にさまざまな工芸品の技術を取り入れ、他にはない風鈴を作り出してきた。何でもできた父の壁は、兄弟にとって限りなく高い。

ところが、3年前に正義さんが病に倒れ、教えてもらえない状況になってしまった。現在は、兄弟と母の3人で力を合わせ、工房を守っている。

偉大な職人だった父に少しでも近づきたい。それが、兄弟の思いだ。

今回、孝通さんと通宏さんは、父の技に追いつこうと新作に挑んだ。

実は、江戸時代に東京で作られていた風鈴は丸い形だけではなかった。特に細長いものは風琴(ふうきん)と呼ばれ、多くの職人が作っていたという。それを知った父の正義さんが製法を研究し、復元させた。

しかし、兄弟にその製法が伝授される前に正義さんは倒れてしまった。このままだと風琴はまたしても幻の風鈴となってしまう。兄弟は、再び途絶えかけた風琴づくりに挑戦するのだという。

父に追いつくための風琴。過去に父が作っている姿を見たことはあったが、実際に自分たちで作るのははじめてだ。

自分たちの職人としての経験を信じて、兄弟の新たな挑戦が今、始まる――。

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

~at home presents明日への扉~

ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中

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Text by Discovery編集部

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