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【明日への扉】豊国草履職人 〜 日本の伝統文化を足元から支えて 〜

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天然の素材のみで作られた日本の伝統的な履き物、草履。丈夫でかつ美しいその姿は、技の結晶だ。


草履の歴史は古く、平安時代には一般的な履き物として庶民にも広まった。だが戦後、主流は靴へと変わり、草履産業は衰退の一途をたどった。現在、国内で手編み草履を生産する会社は、山形県寒河江市にある軽部草履ただ一軒だ。


寒河江市はかつて稲藁節草履の一大産地として名を馳せた。この地で草履作りに使われた「豊国」という稲は、背が高く、茎の部分が長いので、草履を編むのに適しているという。



この豊国で編んだのが、豊国草履だ。艶のある美しさ、履いた時の柔らかい肌触り。極上の履き心地の豊国草履は、草履の最高峰とも称されている。


実は、草履は大相撲の行司にとって欠かすことができない履き物だ。行司は力士同様に厳格な番付があり、位によって装束だけでなく足元にも決まりがある。草履を履いて土俵に上がることが許されるのは、三役以上の行司のみだ。現役の行司に豊国草履の履き心地を聞いてみると、いつも違和感なくフィットし、激しい動きにも耐えうる丈夫さを持っているという。


しかし、現在豊国草履を編むことができる草履職人は高齢のベテランばかり。これから先も職人が高齢化していくのは避けられず、技術を維持していくのがどんどん難しくなっていく。このままでは長年日本人の足元を支えてきた伝統の技が衰退してしまう──。



ここに、豊国草履の伝統技法を身につけるため修業に励む若者がいる。軽部聡(かるべ さとし)さん、36歳。


父の軽部俊男さんは軽部草履三代目の会長で、兄の陽介さんは社長を務める。聡さんはその経営を手伝いながら、伝統的な手編み草履の職人として日々鍛錬している。



聡さんが草履職人を志したのには、ある理由があった。


東京の大学を卒業し、脚本家を目指しながら舞台の小道具を扱う会社でアルバイトしていた聡さんは、有名な役者や踊りの先生方が草履を履いていることに感銘を受けたという。


「草履に触れている仕事が好きなのかなと自分で思い、草履の仕事に向かいたい」と改めて思った聡さんは、実家に戻り、いちから草履作りを学ぶことを決意した。



だが、最初の一年はまったく思うようにできなかったという。もう辞めたいと弱音を吐いたこともあった。その時、師匠であった松田まさのさんは、聡さんにこのような言葉をかけたそうだ。


「私が今あなたに教えている技術は、前の世代の職人さんたちから私が今預かっている技術なんだよ。この技術を次の世代のあなたに教えることに対してもう嫌だとか、そんなことを思ったことは一度もないから、もう一回やってごらん」と。


聡さんは「本当に涙が出る思い」だったという。



師匠の言葉が、今もなお、聡さんの草履作りを支えている。


そんな聡さんの草履作りを追った。



続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。



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Text by Discovery編集部

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