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【明日への扉】江戸和竿職人 〜 釣り人を魅了する技 〜

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竿の先をじっと見つめ、神経を研ぎ澄ます。 

釣りは古くから食料を得るための手段であったが、太平の世が釣りを娯楽、そして文化に変えていった。江戸時代には武士の書いた釣りの指南書である「何羨録(かせんろく)」も出版されている。彼らがこだわったのが、釣り竿だ。 
 
「もっといい竿を」 
 
そんな願いが、釣り竿を道具から美しさを身にまとう芸術品にまで変え、やがて伝統工芸として現代に残した。それが江戸和竿(えどわざお)だ。



江戸和竿の始まりは天明年間(1781〜1789年)。その後、明治から昭和初期にかけて隆盛を極めた。 

和竿は天然素材である竹からできている。その特徴のひとつが、短い竹を何本も繋ぐことで一本の竿になること。一本の竹からではなく、しなり方や強さなど、特徴の違う竹を組み合せて様々な個性や用途を持つ竿を作る。 
 
江戸和竿にはフナやタナゴ、ハゼやタイなどの淡水から海水まで、魚種に合わせた専用の竿が存在する。「江戸前」と呼ばれる東京湾に住む魚の多様性が、和竿を発展させたそうだ。



そんな江戸和竿を極めたいと、研鑽を続ける若者がいる。
 
江戸和竿職人、鴨下貴仁(かもした・たかひと)さん、36歳。 

東京・府中市生まれの鴨下さんは小さい頃から釣りが好きで、やがて和竿に興味を持った。ところが、中学生のときに和竿職人の元を訪ねるも、弟子入りを断られてしまったそうだ。

その後、3人目の和竿職人にしてやっと受け入れてもらえたのが、親方の糸賀一隆(いとが・かずたか)さん、4代目竿治(さおじ)だ。こうして鴨下さんは、高校に通いながら親方の元で修業を始めた。



親方は仕事に関してはとても厳しかった。
鴨下さんは親方から、「手間をかけて物を作る仕事なのだから、『面倒くさい』ということは許されない」と教えられてきたという。
 
糸賀さんは「昔の人だったから、弟子を褒めることはなかった」と鴨下さんは言う。しかし、そんな親方も常客の前では鴨下さんについて「すじの良い奴がいるんだよ」と話していたと、ずいぶん後になってから知ったそうだ。



修業を始めて5年目に、親方は亡くなった。 
 
鴨下さんはその後も修業を重ね、22歳の時に竿治の最後の弟子として竿貴(さおき)の屋号で独立した。



親方から受け継いだ技術を手に、鴨下さんは理想の一本を求めて和竿づくりに生涯をささげている。

和竿ができるまでには大きく10の工程があり、一本の竿が完成するまでにはおよそ半年、ときには数年の時間を要する。 
 
今回は、鴨下さんに和竿づくりの代表的な工程をみせてもらった。



続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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Text by Discovery編集部

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