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【明日への扉】唐津焼 陶芸家 〜 時を彩る器 〜

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一楽、二萩、三唐津。

古の茶人たちが好んだ茶碗を言い表しており、楽は京都の楽焼、萩は山口県の萩焼、そして唐津は佐賀県の唐津焼を指す。

唐津焼の誕生は400年以上前にさかのぼる。九州地方はもともと中世まであまり焼き物生産が盛んではなかったそうだ。しかし豊臣秀吉の朝鮮出兵の基地ができたことにより、ここでもお茶外交が繰り広げられるようになってからは、九州の諸大名が朝鮮半島から陶工たちを招いて、焼き物作りを盛んに行うようになったという。



こうして誕生した唐津焼は、あまたある焼き物の中でも深く愛された。その真髄は、様々な技法やデザインが生み出す多彩性にある。

日本で初めて焼き物に絵を施したといわれる絵唐津や、藁灰釉を使って表面に模様を浮かびあがらせる斑唐津、象嵌の細かな文様が刻まれた三島──。400年の歴史が唐津焼を自由で大胆な焼き物へと変化させたのだ。このように、唐津焼は今も我々を魅了し続けている。



ここは佐賀県・唐津市の山里にある唐津焼の工房・隆太窯(りゅうたがま)。川のせせらぎや野鳥のさえずりが聞こえる中で、日々唐津焼が生み出されている。



中里健太さん(29)は隆太窯の3代目。健太さんの祖父、中里隆(なかざと たかし)さん、そして健太さんの父、太亀(たき)さんとともに、親子3代で唐津焼を作り続けている。

現在唐津焼きに携わって8年目の健太さんだが、子供の頃は唐津焼に関心がなかったという。そのため高校を卒業すると同時に上京し、服飾の道へ進んだ。そして服作りを学ぶ日々の中、偶然訪れた美術館で、ある陶芸作品に出会うことになる。

健太さんはその時、「器から何か伝わってくるものを感じた」と語る。そして様々な作品を見る中で次第に陶芸に惹かれ、自身も陶芸家を志すようになったという。

そんな思いがけない心の変化もあり、結果として陶芸家を志すようになったが、当初、父の太亀さんは息子が陶芸家を目指すことに反対したそうだ。



「反対しましたね(笑)。親がやっているから仕方なく継ぐっていうのはさせたくなかったですし。しなくていい、服飾のほうを頑張れと言いました」。

それに対して、健太さんは自分の率直な気持ちを父に伝え、説得したという。こうして唐津に戻った健太さんは、太亀さんを師匠として正式に弟子入りを果たした。
 
健太さんは修業と並行して、佐賀県有田の陶芸学校で焼きものづくりを学ぶ生活を始めた。朝から晩まで陶芸づけの毎日。そんな日々が3年間続いた。
 
やがて修業期間を終え、陶芸家として独り立ちし、個展も開いた。現在はさらなる高みを目指し、研鑽を重ねる毎日だ。



健太さん曰く、器には人をもてなし、心地よくさせる力があるという。

健太さんにとって、良い器とは──。

「とにかく僕は地味なものが好きなので、目立たなくて、使っていても忘れてしまうような器がいいんじゃないかなと思います。誰かを呼んでご飯を食べるときも、終わったあとに『この器よかったね』って言うよりも、『なんかわかんないけど、今日楽しかったね』って言って終わるような会が一番いいんじゃないかと思っていて」。

暮らしに溶け込む器。健太さんの器はどんなひとときを与えてくれるのだろうか。

器の持つ可能性を信じ、ひたむきに作陶する若き陶芸家の姿を追った。



続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

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Text by Discovery編集部

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