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【明日への扉】大堀相馬焼 〜 乗り越えつなぐ300年の技 〜

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福島県浪江町には300年の歴史を持つ焼き物がある。

 

焼き物の名は大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)。山あいにある大堀村で元禄三年(1690年)に誕生し、江戸時代に一帯を治めていた相馬藩の庇護のもと、東北随一の焼き物として大きく発展した。




大堀相馬焼には非常に珍しい特徴がある。よく見ると、下の部分に穴が空いているのがおわかりになるだろうか。「二重焼」と呼ばれる特殊な手法により、なんと二重構造になっているのだ。


内部に空間があるので保温性が高く、温かいお茶や熱燗が冷めにくいという利点がある。また、熱いものを注いでも外側には熱が伝わってこないので、手を熱くすることなく扱える。寒冷な東北地方でこそ編み出された画期的な技法と言えるだろう。

 

このように全国的にも珍しい特徴を持つ大堀相馬焼は、海外に輸出されるまでに栄えた。しかし、東日本大震災により事態は一変した。

 

原発事故の影響で、窯元たちは大堀相馬焼の誕生の地・大堀から避難せざるを得なかった。そして震災から10年たった今でさえ、大堀に帰ることは叶っていない。

 

大堀相馬焼は、もともと大堀の近くで良質な粘土が発見されたことにより始まった。釉薬も粘土と同じく大堀のものが使われていたが、大堀に帰れない今となってはそれらも手に入らなくなってしまったのだ。

 

震災前に22を数えた窯元は14軒にまで減ってしまった。そんな苦境に立つ大堀相馬焼を、あえて受け継ぐ決意をした若者がいる。吉田直弘さん、25歳。



兵庫県生まれの吉田さんが大堀相馬焼と関わるようになって今年で4年目だ。将来は大堀相馬焼の窯元になる夢を抱いて、今日も作陶に励んでいる。

 

小さな頃からものづくりが好きだった吉田さんは、大学で陶芸を専攻した。卒業後の進路を模索していた時、ちょうど大堀相馬焼の窯元が大学を訪れていた。それが、大堀相馬焼との出会いだった。

 

「こんな作り方をしている焼き物が日本にもあるんだ」という驚きとともに、作業行程を見せてもらいながら「これはすごい」と衝撃を受けたという。さっそく卒業後に浪江町に移り住み、地域おこし協力隊ではたらくかたわら3年間に渡り大堀相馬焼の研修を重ねた。



『いかりや商店』13代目窯元の山田慎一さんをはじめ、大堀相馬焼と関わる人々は吉田さんの丁寧な仕事ぶりとぶれない信念を高く評価し、あたたかく見守ってきた。だからこそ、吉田さんはどんなに辛くても、収入が安定していなくても、大堀相馬焼の窯元になるという夢に向かってまっすぐ突き進んでいく決意をした。

 

たとえ故郷・大堀の材料が使えなくても、300年の伝統を守りたい。山田さんたちは、その強い思いで大堀相馬焼を作り続けている。その強い思いを受け継ぐ決意をした吉田さんの姿は、大堀相馬焼に描かれた勇ましい馬の絵と重なるようにも思える。

 

左に向かって走る馬の絵は「右に出る者がいない」という願いが込められた縁起物。若者はいつの日かきっと窯元となり、大堀相馬焼を新しい時代へと先導していくだろう。

 

 

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。

 

 

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Text by Discovery編集部

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