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【明日への扉】天明鋳物師 〜 時代を超えて愛される茶の湯釜を目指して 〜

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「鋳物(いもの)」とは、金属を高温で溶かして鋳型に流し込み、冷やし固めて作る器物のことだ。

紀元前から伝わる鋳物作りの製法は、仏像や梵鐘(寺院で用いるつりがね)など複雑で大きなものも作ることができる反面、大量生産には向かない。



また、1550℃以上の高温で鉄を溶かし、鋳型の中へ流し込む「吹き」という工程などは、過酷さを極める。これらの伝統的な技術は、古来より鋳物師に脈々と受け継がれ、何百年も使い続けられる鋳物を世に送り出し続けてきた。

その鋳物作りで長い歴史を持つのが栃木県佐野市だ。古くは「天命(てんみょう)」と呼ばれたこの地に、平安時代の939年、平将門の乱を鎮めるために、豪族の藤原秀郷が河内国(現在の大阪府)から5人の鋳物師を移り住ませて武具を作らせたのが天命鋳物の始まりだったとされる。

後に天命の「命」の字が「明」に変わり、現在は佐野と呼ばれるこの地に受け継がれている数多い鋳物の中でも、とりわけ茶道で使われる湯釜は「天明釜」と呼ばれ、時の権力者に愛されてきた。



天明釜の魅力は、大胆で独創的な造形、そして荒々しい肌合いだ。これらを兼ね備え、野趣に富んだ素朴な作風が茶人に大いに好まれ、茶の湯釜の名産地と名高い芦屋と共に「西の芦屋、東の天明」と並び称された。

この天明釜の魅力を今に伝えているのが、佐野市で茶の湯釜を造る「和銑釜 江田工房」だ。

江田家は元々天明の鋳物師だったが、仙台藩に腕を買われて御用達鋳物師となり、23代にわたって宮城県で鋳物師を続けてきた伝統ある家系だ。そして当代の二十三代目江田嘉茂左衛門 釜師・江田蕙さんが佐野に戻り、江田家としては数百年ぶりに佐野の地で鋳物作りを行っている。



江田朋さん(29)は江田家に生まれ、幼い頃からいつかは自分も茶の湯釜を作りたいと思っていたそうだ。

「父の仕事は小学校に入ったぐらいからずっと砂をふるったりして手伝っていて、自分がそういう手を動かすのが好きだったので、やりたいなと思うようになったんだと思いますね」と話す。


朋さんは、まずは南部鉄器の里・盛岡の岩手大学で鋳金について学んだのち、さらなる技術を求めて東京藝術大学大学院に進学。日本一の環境で、より深く鋳物を学んだ。卒業後は埼玉県桶川市の釜師、二代目・長野垤志(ながのてつし)さんに弟子入りし、3年を経てやっと鋳物師としての独立を果たしたのだ。



父の蕙さんは、そんな息子に期待をかける一方で、

「まだ自分の作りたい思いだけで作っているところがありますので、それが段々数をやってこなれていって、やっと一人前になれるのかなと」と厳しい指摘も欠かさない。



技術の修練に余念がなく、バイタリティー溢れる創作活動を続けている朋さん。そんな彼が目指している茶の湯釜とは?

「自分が死んでしまった後でも、何百年か後に“これ、誰が作ったのかわからないけど、いいよね”みたいなことを言われたら、嬉しいですよね」。



数百年に渡り江田家に受け継がれてきた鋳物作りの伝統を基に、新たな茶の湯釜を作り出そうと試みる、彼の今の想いとは。

続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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Text by Discovery編集部

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