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【明日への扉】紀州備長炭 製炭士 〜 伝統の炎を次代に繋ぐ 〜

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紀州備長炭は、火力が強く、火持ちが良いのが特徴だ。煙も少なく、食材の香りを損ねることなく焼き上げることができるため、多くの有名料理店で重用されている。まさに炭の最高峰と言えるだろう。



紀州備長炭の歴史は古く、平安時代に弘法大師が唐から製炭技術を持ち帰り、現在の和歌山県の各地に伝えたのが始まりだという。「備長炭」という名称は、江戸時代に紀州田辺の備中屋長左衛門という炭問屋が屋号と自らの名前から名付けたとされている。

現在和歌山県で生産される紀州備長炭の量は、年間にしておよそ1200トン。その伝統的な製炭技術は1974年、県の無形民俗文化財に指定され、紀州備長炭技術保存会によって技術の継承が行われている。

そして、その千年を超える伝統を未来に繋げようと、仲間と共に汗を流しているのが湯上彰浩(ゆがみ あきひろ)さん、35歳だ。



彰浩さんは、紀州備長炭の生産量日本一を誇る和歌山県日高郡日高川町で生まれ育った。三代続く家業を継ぎ、父の工房を使って紀州備長炭を作り続けている。

幼い頃から父・昇さんの工房に弟の彰太さん(34)と共に出入りしていたという。「休みになったら山や窯に連れて行かれて力仕事を手伝った」と話す彰浩さん。実は、当時「将来炭焼きは絶対やらん」と思っていたそうだ。

高校卒業後に彰浩さんが目指したのは、父ではなく母と同じ道だった。

「(炭焼きの家族として)大変な思いをしていた母親や祖母から、しっかり資格を取って堅い仕事せえよってずっと小さい頃から言われてきた」彰浩さんは、母に倣って一度は看護師になった。



一方、弟の彰太さんは、家業を手伝うために製炭士に。しかし6年前、父が怪我をしたこともあり、彰浩さんも「弟に任せきりにしていた家業を手伝いたい」と思うようになり、弟の後を追って製炭士になった。



さらに、彰浩さんは地元の森林組合で林業に従事していた同級生の藤本直紀さん(35)も誘い、今では3人で協力して炭づくりを行なっている。藤本さんの父親の祖父も、かつては製炭士だった。
仕事以外でも付き合いのある3人での共同作業は、お互いに融通が利きやすく、役割分担できるので楽だという。



ただし、「喧嘩とかはごくまれにあります。大体は僕らの兄弟喧嘩です」と彰浩さんは言う。そこへ「子どものころは毎日喧嘩してたけどな」と笑いながら補足する彰太さん。同じ道を歩む兄弟同士、良い炭を作るためには揉めることもあるようだ。



自分の親や祖父が繋いできた炭づくりを、次の代に繋げていきたい。そして、「昔の人が焼いてたようなええ炭を自分らも絶対に焼くんやっちゅう、そういうプライドを持って仕事をしたい」と彰浩さんは話す。

そんな3人の、紀州備長炭作りを追った。


続きは、ディスカバリーチャンネル放送から。


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ディスカバリーチャンネルにて毎月第3木曜日 19:30~20:00、再放送は翌々週の日曜日 08:30~09:00に放送中

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Text by Discovery編集部

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